バレーボールVリーグの岡山シーガルズや日本代表「火の鳥NIPPON」でセッターとしての活躍する宮下遥選手。
14才でVリーグ入団、15才で日本代表、22才で中心選手としてリオ五輪を経験した宮下遥選手の出身校など、プロフィール情報をまとめています。
バレー選手の宮下遥:身長や最高到達点などプロフィール
宮下遥選手の身長は178cm、体重58kg(Vリーグ公式データ)。
セッターやリベロを含めた女子日本代表選手の平均身長が175cmくらいなので、日本チーム全体の中では、背が高めな方に入ります。
宮下選手の最高到達点はスパイクジャンプが293cm、ブロックジャンプの最高到達点は283cm。
指高は228cm。
宮下選手は高さを生かしたトスが光り、また、相手チームにとって予測しずらいトスワークも特徴的です。
足のサイズは25.5cm。
宮下遥の小学校時代
宮下遥選手の出身小学校は三重県の桑名市立城南小学校。
桑名市は男子バレーの西田有志選手の生まれ育った「いなべ市」の南隣の市です。
宮下選手は小学1年生の時、ママさんバレーをしていたお母さんの影響で、地元の内部(うつべ:地名)のバレーボールクラブ、内部J.V.Cでバレーボールをはじめました。
内部J.V.Cは桑名市の西隣の四日市(よっかいち)を拠点に、1979年の創設以来、30年以上続き、男女ともに全国大会にも出場しているほどのクラブ。
監督やコーチのしっかりとした指導の元、一生懸命に練習をしていたようです。
当時の監督は『バレーはレシーブから』を信条にバレーボールの基礎的なところをしっかりと身につけてくれたそうです。
そして、小学生の低学年から週に数回、電車で30~40分もかかる隣の四日市のクラブまで通ったということは、宮下遥選手のお母さんもバレーボールに熱心だったのでしょうね。
宮下選手は小学生の頃はアタッカーをしていて、2006年夏には、エース兼キャプテンとして全国大会へ出場。
東京の強豪、ベスト16で東金ビーバーズに敗れてしまいましたが、この経験が宮下選手にとって宝物になったそうです。
宮下遥の中学校時代
宮下遥選手の出身中学校は大阪府守口市の大阪国際大和田中学校。
大阪国際大和田中学校は全国大会出場の常連校。
全国大会でエース№をつけて活躍した宮下選手は大阪国際大和田中学から勧誘を受けて進学。
そして、中学時代にアタッカーからセッターへ転向。
セッターと言えば、一般的にはチームの中で低めの人がすることが多いポジションで、身長が高い人は高さを生かしたアタッカーをすることが多いものです。
小学校6年生の頃には身長170cmを超えて背が高かったにも関わらず、宮下選手が持っているバレーボール選手としての「天性の読みの良さ」に気づき、セッターへの転向を勧めたのは、岡山シーガルズの河本昭義監督と言われています。
セッターとなった宮下選手は「世界で通用するセッターになってやる!」と決め、練習に打ち込んだと言われます。
宮下選手が在籍した2008~2010年の頃はとても強く、近畿地方の大会では優勝や準優勝を重ね、中学3年生のときに主将としてチームを全国準優勝を経験しました。
さらにすごいことには、14才8ヶ月という史上最年少でVリーグの岡山シーガルズに選手登録され、中学3年生の2009年11月には、15才2か月でVプレミアリーグに初出場しました。
そして、全日本女子チームの合宿へ初招集。
15歳での日本代表入りは、セッターとしては中田久美選手(2020年現在、女子代表チーム監督)以来、30年ぶりのことでした。
この頃の宮下選手を象徴する話として「Vリーグデビュー戦で前歯2本を折ったアクシデント」があります。
Vリーグのデビュー戦で味方選手同士で接触し、前歯2本を折ってしまったのです。しかし、「チームに貢献したい」という一心で、宮下選手は前歯が折れてもプレーをし続けました。
普通なら交代を申し出てもおかしくないくらいに口の中は血だらけだったそうです。
何という気丈さ。すごいガッツです。(今は宮下選手の前歯は治療によって綺麗に治っています)
そして、バレーボール選手としては早熟、天才肌と言ってもよい宮下選手でしたが、中学時代は、意外にも「普通の女子中学生」のような面も。
2016年のリオ五輪後、母校の報告会で「中学3年間での一番の思い出は何ですか?」との質問に「中学3年生の時に体育祭で行ったソーラン節です。筋肉が切れそうになるくらいみんなで力をあわせて練習しました」と答えたそうです。
微笑ましい回答ですね!
宮下遥の高校時代
宮下遥選手の出身高校は大阪国際滝井高校。
大阪国際滝井高校は大阪国際大和田中学校の姉妹校(ともに大阪国際学園の運営)。
大阪国際滝井高校は岡山シーガルズの河本昭義監督が監督を兼任している学校でした。
河本昭義さんは、岡山シーガルズの前身の東芝シーガルズ時代から監督を務めており、その後、岡山シーガルズの発足に尽力。
現在(2020年時点)も岡山シーガルズの監督をされています。
中学生でVリーグデビューし、日本代表に選出された宮下遥選手。
宮下選手は高校ではバレー部に入部せず、岡山シーガルズでバレーボールをし、Vリーグと日本代表チーム、高校生活を両立。
2013年3月に大阪国際滝井高校を卒業しましたが、大阪国際学園(大和田中学、滝井高校)は宮下選手が卒業生であることを誇りとし、今も応援しています。
岡山シーガルズの宮下遥選手(2010年-)
15才という年令でVリーグでプレーをはじめた宮下選手は、2シーズン目となる2011-12年シーズンにはスタメンとして活躍し、前シーズンの8位から4位への躍進に貢献。
宮下遥選手が入団後、岡山シーガルズの順位は毎年上がってゆきました。
- 2010-11年:8位
- 2011-12年:4位
- 2012-13年:3位
- 2013-14年:2位(準優勝)敢闘賞、ベスト6賞を受賞
その後、岡山シーガルズは宮下選手が怪我で治療していた時期に低迷していたものの、2019-20年には復活の準優勝。
2019-20年の岡山シーガルズはVリーグの中でも外国人助っ人選手がいない唯一のチーム。
大型外国人選手が打ち込むスパイクのような派手さはないものの、粘り強く安定感のあるディフェンスがVリーグの中で際立っていました。
2019-20年にVファイナル準優勝に帰り咲いた守備力を支えたのが、リベロの楢崎慈恵選手に加え、宮下遥選手。
宮下選手はVリーグでの通算試合出場が「10シーズン以上で230試合以上」に達し、『Vリーグ栄誉賞』の表彰を受けました。
宮下 遥(みやしたはるか)
生年月日:1994年9月1日
(2020年時点:26才)
出身地:三重県桑名市
血液型:B型
ポジション:セッター
所属:岡山シーガルズ