バレーボールVリーグのJTマーヴェラスや日本代表「火の鳥NIPPON」で活躍する小幡真子(こばた まこ)選手。
バレー選手としては小柄ながら、ガッツあふれる守備や熱いでチームを引っ張る小幡真子選手の出身校など、プロフィール情報をまとめました。
バレー選手の小幡真子:身長や最高到達点などプロフィール
小幡真子選手は身長164cm、体重55kg(Vリーグ公式データ)。
スパイクジャンプとブロックジャンプの最高到達点は281cm。指高は200cm。
足のサイズは24.5cm。
小幡選手のポジションはリベロ。コートの中では守備専門、守備のエキスパートという役割。
試合では出場場面が限られますが、チームの攻撃力を左右する相手サーブのレセプションの要で、どんなボールでも積極果敢に飛び込む献身的なプレーと粘り強さが求められるポジションです。
小幡選手のプレーの特徴や魅力は、熱い心でボールを拾ってつなぎまくるガッツ。
チームメイトの気持ちを高める熱いかけ声です。
試合中、素晴らしいムードメーカーの小幡選手の動きを見ているだけでもワクワクします。
小幡真子選手のツイッターやインスタグラム
小幡真子選手のツイッター
小幡真子選手のツイッターはキャラがよく出ていておもしろいです。
小幡真子選手のインスタグラム
小幡真子選手のインスタグラムはお宝写真など、ツイッターと違う投稿が多くて、いい写真も多いです。
子どもの頃のかわいい写真。お母さんにそっくり?
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小幡真子の小学校時代
小幡真子選手の出身は熊本県の上天草市。
上天草市と言えば、熊本県の西部、大小さまざまな島からなり、豊かな海や自然に恵まれた地。天草四郎で有名な歴史文化でも知られる場所です。
小幡真子選手の出身小学校は熊本県の上天草市立中南小学校。
小幡選手は中南小学校4年生のとき、当時の中南小学校にはバレー部かバドミントン部しかなく、バレーボールをしていたお母さんの影響でバレーをはじめたそうです。
小幡選手のお母さんは、かつて、現在の久光スプリングスの前身チームでプレーしていたそうです。
中南小学校時代のチームは超強豪校というわけではありませんでしたが、監督は厳しい指導者として有名。
メンバーは身長が低かったため「みんなで拾ってつなぐ」スタイルで戦い、小学生の時から九州の全県に遠征して練習試合。天草市の大会ではいつも優勝を争っているチームでした。
小幡真子の中学時代
小幡真子選手の出身中学は熊本県の上天草市立大矢野中学校です。
中学校でもバレーボール部へ入部。他の小学校から入ってきた選手は九州大会に出場する強豪校の出身で、平日は練習、週末は遠征試合と、中学校3年間はバレーボール漬けだったと言います。
当時、小幡真子選手は身長は高くなかったものの、まだリベロではなく、ライトのポジションでスパイクも打っていたそうです。ジャンプ力は高かったようです。
しかし、小幡選手はこの頃から自分の役割はレシーブだと考え、一番はディグ(スパイクレシーブ)を中心としたレシ-ブ面を誰よりもがんばって練習していたそうです。
中学1年の時は県大会の2回戦敗退。中学2年生のときは県大会の準決勝まで行きました。
そして、中学校生活最後、3年生の時に県大会を勝ち進み、九州大会への出場。全国大会まであと1勝というところで負けてしまいましたが、「チームプレーの楽しさ、人と人とのつながり、自分とチームメイトのお互いを活かし合うことの大切さを学んだ」と後に小幡選手は語っています。
小幡真子の高校時代
小幡真子選手の出身高校は長崎県の九州文化学園高校。
九州文化学園高校は長崎県の女子バレーボールのトップ高校で、全国大会出場の常連。春高バレーでの優勝は3回、ベスト4に8回入っているすごい高校です。
高校への進学時にいくつかのバレー強豪高校からスカウトがありましたが、一番最初に声をかけてくれたのが九州文化学園だったそうです。
九文(九州文化学園高校)に入学後は寮生活をスタート。
高校入学当初はライトの練習をしていましたが、その後、監督にレシーブ力を高く評価され、高校1年の時は、その時のチーム事情に合わせてリベロやライトの両方で活躍。
小幡選手が本格的にリベロとしてプレーするようになったのは高校2年生の時。
インターハイでは3年間連続でベストリベロ賞を受賞。
3年生のときには、優勝か準優勝のチームから個人賞の選手が選ばれることが多い中で、3位の九州文化学園から小幡選手が選ばれました。それだけ小幡選手が凄かったということですね!
小幡真子選手の高校時代の戦績は3年間を通して全国でベスト4か準優勝が多く、全国優勝はできなかったとか。
しかし、そのことが逆に「大学で結果を出して高校の監督にすごいところを見せてやる!」というモチベーションになったそうです。
さすがは熱き心の小畑選手らしいですね。
小幡真子の大学時代
小幡真子選手の出身大学は日本体育大学(2011-2015年)。
日本体育大学は関東1部リーグでのバレー強豪大学の一つで、代々の有名バレー選手を輩出しています。やはり全国の強豪校からすごい選手たちが日体大に集まっていました。
日体大時代の小幡真子選手のプレー動画(白ユニの背番号1)。
小畑真子選手は大学1年生の頃から試合に出場。
最高成績は4年生のときの全日本インカレ優勝(日本体育大学女子バレー部としては21年ぶり)。バレーボール人生で初めてキャプテンを務め、大会のMVPとベストリベロ賞を受賞しました。
しかし、小幡選手は選手として賞をもらったことよりも「キャプテンとしてチームのことを考えた時間やチームへの思い、愛という部分で大学バレーボール界の誰にも負けない気持ちをもっていた」ことに達成感と誇りを感じていたそうです。
チームに尽くす献身的な姿勢は、まさにリベロの鏡ですね。
小幡真子選手:JTマーヴェラス(2015年-)
大学卒業後、小幡真子選手は一番に最初に声をかけてくれたJTマーヴェラスへ入団(2015年-)。
2016年5月の黒鷲旗大会で2連覇に貢献し、ベストリベロ賞を受賞。
2017/18年シーズンのVプレミアリーグでははほぼ一人でリベロを務め、チームの準優勝。ベストリベロ賞を獲得しています。
2018/19年シーズンからチームの主将を務めていて、JTの試合では、終始、小幡選手の声がコートに響き渡っているほど。
機敏な守備に加え、リーダーシップに優れた選手。
小幡真子選手:全日本代表 火の鳥NIPPON
【#HBD】本日8/15(木)は、2019年度女子日本代表チーム登録メンバー #小幡真子 選手の誕生日です🥳🎂
マコ選手、Happy Birthday!#火の鳥NIPPON #リベロ #バレーボール🏐 pic.twitter.com/0owM5XeAAs
— 公益財団法人日本バレーボール協会 (@JVA_Volleyball) August 15, 2019
2017年3月、シニアの全日本代表メンバーに初選出。
同年のワールドグランプリで国際大会へのデビュー。
さらに同年8月に開催されたアジア選手権でチーム10年ぶり優勝に大きく貢献し、自らもベストリベロ賞を獲得しました。
小幡真子の中学・高校・大学など選手情報まとめ
これからも小幡真子選手のさらなるご活躍期待したいですね。
当サイトは小幡真子選手を応援しています!
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生年月日:1992年8月15日
(2020年時点:28才)
出身地:熊本県上天草市
身長:164cm / 体重:55kg
血液型:B型
ポジション:リベロ