バレー柳田将洋の中学高校大学、身長や最高到達点などプロフィールまとめ!

バレーボール選手,柳田将洋(やなぎだまさひろ)
柳田将洋選手©スポーツファンnet

バレーボールのスター選手、柳田将洋(やなぎだ まさひろ)選手。

色白で細身のイケメン男子なルックスに加え、実力も兼ねそろえた柳田将洋選手の出身校や最高到達点等、プロフィール情報をまとめました。

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バレー選手・柳田将洋:身長や最高到達点などプロフィール

バレーボール選手,柳田将洋(やなぎだまさひろ)
©スポーツファンnet

柳田 将洋(やなぎだまさひろ)
生年月日:1992年7月6日
(2020年時点:28才)
出身地:東京都江戸川区
血液型:O型
ポジション:アウトサイドヒッター
契約チーム(2020-21年シーズン):
サントリーサンバーズ

柳田将洋選手は身長186cm体重79kg。(2019ワールドカップデータ)

セッターやリベロを含めた男子日本代表選手の平均身長が189cm前後で、平均より少し低い身長ということになります。

柳田将洋選手の最高到達点はスパイクジャンプが335cmブロックジャンプの最高到達点は310cm

柳田選手の特徴の一つは強力なジャンプサーブ。威力があり精度の高いジャンプサーブはチームの武器。

サービスエースで流れを変える一発の強さがあります。

相手が強豪となればなるほど、サーブで崩すことが勝利につながり、柳田選手のビッグサーブが活きてきます。

さらに、勝負強さ。

勝負の局面を左右するここぞという時のスパイクの集中力が素晴らしく、天性のスター性があります(いわゆる「もってる」というタイプの選手)。

また、柳田選手はキャプテンシー(キャプテンらしさ、チームリーダーの素質)が高く、2020年まで日本代表のキャプテンを務めていました。

日本代表戦の見逃配信
2021年5月に行われた日本代表戦「東京チャレンジ」や「紅白試合」の見逃配信(アーカイブ)の視聴方法を「2021年度日本代表の試合スケジュールや見逃配信は?」で解説。よろしければ、そちらもどうぞ(クリックで別ページが開きます)
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柳田将洋の幼少期

将洋選手のお母さんによれば、生まれた時は身長54cm、体重3414gだったそうです。

少し背が大きめかもしれませんが、一般的なサイズの赤ちゃんですね!

幼い頃の柳田選手はわりとおとなしめの感じで、人前に出るのも苦手だったそうです。

電車が好きで秋葉原(東京)の交通博物館にもよく通っていたとか。

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柳田将洋の小学生時代:小岩クラブ

柳田将洋選手の出身小学校は東京江戸川区、北小岩小学校

柳田選手は9人制のバレーをしていた両親の練習によくついてゆき、自然と身体を動かしながら遊んでいたそうです。

バレーボールを始めたのは小学2年生の7歳の頃。

クラスメイトに小岩クラブでバレーをしている友達に誘われ、小岩クラブへ見学しにいったのがバレーを始めるきっかけになったそうです。

引用元:https://ameblo.jp/koiwaclub

小岩クラブは、東京都江戸川区小岩の小学校を拠点に活動する小学生バレールクラブで、約40年も続いている歴史あるクラブ。

卒業後に春高バレーや実業団で活躍する選手も多いそうです。

このクラブの素晴らしさはバレーの技術だけでなく、あいさつや礼儀作法などもきちんとできるよう教えていることだったそうです。

柳田選手は小岩クラブで小学5年生の時にエースとして全国優勝を経験しています。

小学校6年生のときはキャプテンでした。

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柳田将洋の中学校時代

柳田将洋選手の出身中学は安田学園中学校

安田学園中学校は柳田選手の父の出身校で、指導に定評のある中高一貫校です。

しかし当時は身長も高い方ではなく、試合でもなかなか勝てなかったようです。

柳田選手は「下積みの暗い時代だった」と振り返り、同世代歳で早くから名を馳せた選手を遠くから見上げては「こういう選手が将来は上で活躍するんだろうな」と思っていたほどだそうです。

しかし、中学も終盤、高校入学に近づくと徐々に力をつけて周囲から注目されるようになっていた?のでないでしょうか。

下の写真の前列左から2番目(背番号7)は中学時代の貴重写真。

中学3年の時の全国大会、JOC杯の東京選抜の写真と思われます。(VリーグのFC東京で活躍する同級生の井上仁選手のツイッターより)

中学生っぽくて、かわいい!ですね。

しかし、中学生の頃、コーチの言われたとおりでなく「自分たちで考えるバレーボール」を意識し始めたそうです。

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柳田将洋の高校時代(春高のプリンス)

柳田将洋選手の出身高校は東京都千代田区の東洋高校

中学卒業後、柳田選手は中高一貫の安田学園高校でなく東洋高校へ進んだのは、バレー部の先輩が成長している姿を目の当たりにして「東洋高校でバレーをしたい」と思ったからだそうです。

東洋高校では「自分たちで考えるバレーボール」が徹底され、そのことにも惹かれていた柳田選手は振り返っています。

2009年3月、高校1年生で出場した春高バレー(春の高校バレー)で、エースとして活躍。

優勝した都城工業に準々決勝で敗れたが、柳田選手はベストルーキー賞を受賞しました。

高校2年の2010年、春高バレーに主将として出場。見事、優勝を果しました。

その決勝戦での活躍の様子がこちらの映像です。

この当時から柳田選手の女性からの人気はすごいものがあり、高校生として稀に見るスター性がありました。

スパイクが1本決まるたびに観客席からは女性たちの黄色い歓声が沸き起こり、その様子はバレー専門誌でも特集されるほど。

春高決勝の勝利で涙を見せたシーンでは、女性ファンからキャーという悲鳴が沸き起こりました。

試合後の会場の出口付近には“出待ち”の女性が300人くらいいた!という伝説も。

さらにユース世代の代表選手にも選ばれ、高校2年でイタリアで行われた第11回世界ユース選手権ではベストスパイカー賞を受賞!

(チームは14位でベストスパイカー賞って、すごですね!)

インカレ(全国高校選抜大会)でも最優秀選手賞を獲得しました。

いよいよ「世界の柳田将洋」が始まった時と言えます。

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柳田将洋の大学時代

柳田将洋選手の出身大学は慶應義塾大学(環境情報学部)。

引用元:https://keispo.org

この頃の慶應大学のバレーボール部は1部に所属してはいたものの、優勝争いからは遠ざかっていた状態。

東洋高校の先輩である宗雲健司監督から声がかかったということ以外に、この頃の柳田将洋選手は、頭のどこかで「将来バレーでは食べていけないんじゃない?」と思っていたそうです。

慶應といえば、社会的にも先へつながる名門大学です。夢よりも現実を見ることが大切。

当時はまだ10代だった柳田選手は「もしもバレー選手ではなくなっても、社会人として道をつくらないといけない。」と考えていたと後に語っています。

さすがですね!

大学時代の柳田選手は大学2年の時に全日本インカレ(大学の全国大会)で準優勝を経験。

そして、大学3年生の4月(2013年)には、全日本代表のメンバーに初登録

2014年のアジア大会(大学4年生)では銀メダルを獲得しています。

柳田将洋選手:サントリーサンバーズ(2015-17年)

大学を卒業後、柳田選手はVリーグのトップクラスチーム、サントリーサンバーズへ入団。

2015/2016シーズンのレギュラーラウンドでは全試合に出場し、最優秀新人賞を受賞。

下は最初にサントリーへ入団した頃の伝説の試合の貴重映像。

石川祐希選手(当時、中央大学)とのヒーロー対決。

2015年のワールドカップでは、日本代表として、ほぼ全試合にレギュラーとして出場しました。

その後、柳田選手はプロで活躍したいという気持ちが芽生え、安定を捨ててプロに。

海外ドイツのバレーボールリーグへ渡りました。

柳田将洋選手:海外所属チーム歴

柳田将洋選手は2017年から3シーズンはプロ選手として海外のバレーボールリーグに移籍。

新たな境地を切り開いてゆきました。

2017-18年:ドイツのビソンズ・ビュール

引用:https://volleyball-buehl.de

柳田選手は2017年にプロ選手となり、ドイツ・ブンデスリーガ1部リーグのバイソンズ・ビュール(Volleyball Bisons Bühl/通称:ビュール)へ移籍。

2017年6月にビュールと契約締結、10月15日の開幕戦に出場しました。

2戦目からはキャプテンとして任命され、若い選手が多いチームの中でリーダーシップを発揮。

ドイツのバレーボール専門雑誌「 Volleyball MAGAZIN Germany」で、2017/18シーズンの上位5人のMVP選手の一人として選ばれました。

200cm級の背の高い選手、体が強く高いブロックの選手が多いドイツでの激しい中で戦い抜く柳田選手には「ハンター・マサ(Hunter Masa)」というニックネーム。

初めての海外リーグで結果を残した柳田選手は、もともと抱いていた次なる目標、ポーランド・リーグへと移籍。

ドイツでは、チームの中心選手だった柳田選手のポーランド移籍を残念に報じつつ、柳田選手の次なる進化のステップとして、歓迎して送り出します。

そのときのビュールの記事がこちら(英語)

2018-19年:ポーランドのクプルム・ルビン

海外でプレーすると決めた柳田選手が当初から目指していたのが、ポーランドの1部リーグプラスリーガ(PlusLiga)

ポーランドはイタリアと並んで世界最高峰のバレーボールリーグと言われ、ナショナルチームの強さも世界トップクラス。

2019年のワールドカップではブラジルに次いで準優勝しています。

2020年シーズンに日本のVリーグで活躍しているポーランド出身の選手として、パナソニック・パンサーズのミハウ・クビアク選手、ウルフドッグス名古屋のバルトシュ・クレク選手がいます。

二人とも世界の超トップ選手です。

引用:https://www.polsatsport.pl

柳田選手はポーランドのプラス・リーガで中位のクプルム・ルビン (Cuprum Lubin)へ在籍。

リーグの中盤からレギュラーとして出場。

しかし、シーズンの終盤、左足首の怪我をし、治療のため、チームを離脱することになりました。

柳田選手は「予定どおりに行かなくても、そこに転がってるヒントやチャンスもある」というプラス思考で、選手としてさらなる高みを目指してゆきました。

2019-20年:ドイツのUVフランクフルト

プロ3年目。

2019/2020年のシーズンに柳田選手が選んだのは、ユナイテッド・バレーズ・フランクフルト (United Volleys Frankfurt)

柳田将洋,男子バレーボール選手
©https://unitedvolleys.de

UVフランクフルトは、ヨーロッパチャンピオンズリーグにも参戦するドイツの強豪。

柳田選手は海外でプレーする自身の選択を海外での武者修行でなく、主力メンバーとして「どのチームで戦うかという選択肢の一つ(出典:バレーボールNEXTより)」と語っています。


2m級の高身長選手がしのぎを削るドイツのブンデスリーガで2試合連続でMVPを取るなど、チームの中心選手として活躍。

UVFで活躍した時代の柳田選手の動画がこちら。

さらに柳田選手は観戦応援ツアーで数十名以上の日本人ファンが団体でドイツに来るほどの人気。

ドイツのメディアは柳田将洋選手をサッカーの英雄、デイヴィッド・ベッカム選手になぞらえて大々的に報道しました。

2019/2020年シーズンは新型コロナウィルスによってシーズン途中の終了となりましたが、リーグ2位で終えています。

柳田将洋選手:サントリーサンバーズ(2020年-)

2020年に世界に広がった新型コロナウィルス。

2020年7月に予定されていた東京オリンピックは延期となり、バレーボール選手たちの練習環境にも大きな影響を与えました。

2020-21年シーズン、柳田将洋選手は再びサントリーサンバーズでプレーすることを選択。

持ち前の弾丸ビックサーブは健在。2020/21年シーズンはサントリーでチームの柱として活躍しました。

バレーボール選手,柳田将洋(やなぎだまさひろ)
©スポーツファンnet

海外の3年間で培ったハングリー精神や一球一球に妥協を許さないハードな取り組み。

プロとしての姿勢がチームに良い影響を与えていると、サントリーの山村監督はテレビインタビューで語っています(2020年11月バレーボールチャンネル)。

バレーボール:柳田選手情報まとめ

ルックスの良さから女性人気がとても高い柳田選手ですが、プレー面だけでなく素晴らしい人間性からも、日本男子バレーボール界の支柱とも言えます。

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