全日本男子代表バレーボール、VリーグのジェイテクトSTINGSで活躍する西田有志選手。
今後の男子バレー界の中心選手としての活躍が楽しみな西田有志選手の出身校や最高到達点、ご家族構成などをまとめています。
バレー選手の西田有志:身長や最高到達点、ジャンプ力など
西田有志選手は身長186cm、体重:82kg。
たとえば、セッターやリベロを含めた日本代表選手全体の平均身長は189cm前後。
アウトサイドヒッター、ミドルブロッカー、オポジットなど、日本代表のスパイカーの平均身長が193cm前後で、西田有志選手の身長は比較的小柄と言えます。
西田有志選手の最高到達点はスパイクジャンプでの最高到達点350cm。ブロックジャンプで320cm(2020年Vリーグの公式データ)。
※但し、東京オリンピック2020の公式登録データはスパイクジャンプ最高到達点346cm/ブロックジャンプ最高到達点は330cm。
最高到達点の350cmは、340cm前後が多い日本代表選手の中でもトップクラスで、エースの石川祐希選手(351cm)とほぼ同じです。
西田選手の指高は240cm。
最高到達点が350cmということは、助走付きのジャンプ力は110cm(350cm-240cm)。すごいです。
ちなみに足のサイズは28cm(Vリーグ公式データ)。
スパイクやサーブなど攻撃力の高さとパワーは突出しており、20才にしてワールドクラスの実力です。
西田有志選手の幼少時代
西田有志選手の母、美保さんによれば、西田選手と兄、姉は、皆、幼い頃から運動神経が良かったそうです(ご両親は実業団のバスケットボール選手だった)。
西田選手の実家周辺に自然があり、便利すぎなかったことで、持って生まれた運動神経がさらに磨かれたようです。
西田有志選手は幼いころから周辺の田んぼの中に入って遊んだり、どこへ行くにも自転車やキックボードで移動するのが常で、自然と体が鍛えられていたと言います。
たしかに西田選手は野性的な感じにあふれ、それがプレーの強みにもなっていますね。
西田家では、団体競技でみんなと仲良く、思いやりの心が育つスポーツがよいと考えていたところ、たまたま、近くのバレーボールチーム、大安バレーボールスポーツ少年団(女子チームは大安ジュニア、男子チームは大安ビートル)がありました。
大安バレーボールスポーツ少年団では、バレーボールの技術に加え、挨拶やしつけなども指導しているところが気に入り、まずは西田選手の姉と兄がバレーボールを始めていました。
西田有志選手の小学校時代
西田有志選手が通っていた出身小学校は、三重県のいなべ市立石榑小学校(いしぐれ)。
西田選手は幼い頃から姉と兄が所属する大安バレーボールスポーツ少年団の練習見学に行っていたそうです。
西田有志選手がバレーボールを始めたのは、石榑小学校に入学する3か月前、幼稚園の年長(5才)の終わり頃に大安ビートルでバレーボールを始めたそうです。
持ち前の負けん気の強さには、当時の大安ビートルの監督、梅澤通夫さんにも印象強く目に留まったようです。
小学校2年生の時にジャンプサーブにも挑戦したそうです(肩を壊すので、梅澤監督にやりすぎを制されるくらい)。
西田選手は石榑小学校4年生の時、大安ビートルのスタメン選手として全国大会へ出場(2009年)。当時の身長はまだ140cmくらいでしたが、6年生に負けないくらいの強烈なスパイクを打てていたそうです。
そして、姉・兄・有志選手の3人が揃ってバレーボールに夢中になっていた2008年、北京オリンピックが行われました。
福澤達哉選手や清水邦弘選手も出場していたバレー中継を見た8才の西田少年は「ここでやる!(オリンピックでプレーする!)」と宣言したのだとか。
この頃から、かなりの大物少年でしたね!
西田有志選手の中学校時代
西田有志選手の出身中学はいなべ市立大安中学校。
その頃、ご両親はしっかりとしたバレー指導者のいる隣の中学への入学を有志選手へ進めたそうです。
しかし、有志選手は「自分が強くする」という意気込みで、大安中学校へ入学。大安中学のバレー部時代には、西田選手が同級生にバレーを教えていたそうです。
「その経験から自分のプレーを客観的に見ることができるようになりバレーの幅が広がった」と西田選手は語っています。
西田有志選手の野性味あふれる底力は、こういう泥臭さから培われてきたのかもしれませんね。
西田選手は大安中学校に通いつつ、中学1年の6月に地元のクラブチーム「NFOオーシャンスターバレーボールクラブ」の練習へ参加。
オーシャンスター(通称:ヤングバレー)は、その後、西田選手が進学した海星高校の大西正展監督が立ち上げたクラブ。
西田選手は週2回は、海星高校の体育館を使ったオーシャンスターで練習をしていたそうです。
西田選手が中学校2年生(2013年)のときに大安中学校バレーボール部のキャプテンになりました。
西田選手の体格が大きくなり、県下でも特に目立つ逸材選手と目されたのもこの頃。
中学2年の時(2013年)、JOCジュニアオリンピックの三重県選抜に選ばれました。
JOCの県選抜選手は、県下でもトップクラスのバレーボール選手、将来を有望視される選手だけが選ばれます。
中学3年生の時(2014年 12月)になると、NFOオーシャンスターで主将をつとめ、全日本都道府県対抗中学大会でベスト8に入りました。
また、西田有志選手の中学時代、NFOオーシャンスターの大西監督との出会いは、その後の西田選手に大きな影響を与えたと言えます。
西田選手は高校入学前に、すでに立派な体格になっており、海星入学前の春休みに高校の練習に来ていたとき、同級生は「大学生が来ている」と思ったそうです。
西田有志選手の高校時代
西田有志選手の出身高校は三重県四日市(よっかいち)市の海星高校。
高校へ入学する際、愛知県の星城高校(愛知県)や三重県№1の松阪工業高校などの強豪校から勧誘を受けていたそうです。
しかし、西田選手はそのような強豪校へ行こうとはせず、中学時代からのバレーの恩師、大西正展先生のいる海星高校を選択。
そのことについて、西田選手は以下のように語っています。
強いところに行ってずっと上にいるより、下から倒していくほうが楽しいというか、そっちの方が人生的にもいいかなと思ったので(引用元:Number)
海星高校は進学校で、バレー部員も大学進学を目指し、バレーボールと学業の両立が求められる学校でした。
試験前には自宅ではなく、学校でテスト勉強をするのを大西先生がサポートしたこともあったそうです。
西田選手が高校1年(2015-16年)、高校2年(2016-17年)のときの海星高校は西田選手頼みのチームで強かったものの、西田有志選手は好不調の波があったようです。
三重県の決勝で松阪工業高校に負けてしまうことが多く、準優勝が多かったと語ります。
しかし、高校2年の11月には主将に就任。2月の新人の県大会では、創部以来初の県大会優勝。
また、2月には世代の代表選手が集まる全日本ジュニアオールスタードリームマッチのメンバーに。
3月にはアジアユースのメンバーに選出されています。
3つ目です❗️
多くの事を書いていただいて本当に嬉しいです❗️— 西田 有志 (@volleyball1301) June 16, 2020
海星高校時代のコーチ井口拓也さんは当時の西田選手のことを「思い切りがよくてものおじしない選手でした」と振り返っています。
さらに高校3年になると、6月の県総体で宿敵の松坂工業を破ってインターハイの出場権を獲得。
インターハイでは強豪の東福岡高校(福岡)、清風高校(大阪)に勝ち、ベスト16となりました。
西田有志の大学は?
西田有志選手は大学には進学せず、2017年、高校3年の時にVリーグのジェイテクトSTINGSに高卒内定選手として入団。
高校2年の6月、県総体での西田選手の活躍がジェイテクトSTINGのスカウトの目に留まり、声がかかりました。
常に高いレベルで挑戦してゆきたいという気持ちをもつ西田選手にとって、大学に行ってからVリーグに入るという道は遠回り。
すぐにでもトップリーグで戦う選択が正しかったことは今の活躍を見れば確かと言えます。
ジェイテクトSTINGSの西田有志選手:2018-2021年
ジェイテクトSTINGSを選んだのは、兄がジェイテクトで働いていて、誘ってくれたことがきっかけとのこと。
西田選手の実家のある三重県いなべ市からジェイテクトの本拠地、愛知県の刈谷(かりや)までは近く、ご両親も応援に向かいやすいですね。
Vリーグでは、デビューした2018-2019年の1シーズン目から活躍。
2年目の2019-2020年シーズンにはジェイテクトを優勝に導き、自身も最高殊勲選手賞(MVP)、得点王、サーブ賞を獲得しました。
そして、同年、2019年ワールドカップでも大活躍。世界から注目されました。
2020年12月の天皇杯でも優勝の立役者となりました。
スパイクやサーブなど攻撃力の高さとパワーは突出しており、すでにワールドクラスの実力。
プレーや風格など全体としてゴージャスなオーラは観衆の目をくぎ付けにします。
その大きな背中は、20歳にして日本の男子バレーボールをけん引してゆく存在としての期待を感じさせます。
↑2020年12月記載。東京オリンピック2020が終了した2021年8月、世界最高峰の男子バレーボールリーグ、イタリアセリエAへの移籍が発表されました。
西田有志:ヴィボ・ヴァレンティア(イタリア・セリエA):2021-22年
東京オリンピック2020で活躍後の2021年8月、西田有志(にしだゆうじ)選手は世界最高峰の男子バレーボールリーグ、イタリア・セリエAのクラブへ移籍。
契約チームは「トンノ・カッリポ・ヴィーボ・ヴァレンティア(Tonno Callipo Calabria Vibo Valentia)」。
長い名前ですが、一般的にはチーム名の「トンノ・カッリポ(※)」、またはホームタウンの地名の呼び方で「ヴィーボ・ヴァレンティア」と呼ばれています。
(※)表記上はトンノ・カッリポだが、解説者などの実際の発音はトンノ・カリッポ、トンノ・カリーポなどと聞こえる。
新チームでの西田選手の背番号は「2」。
トンノ・カッリポ・ビーボ・ヴァレンティア
2021-22年選手一覧 セリエA公式HP
ホームタウンのビーボ・ヴァレンティア(Vibo Valentia)はイタリア南部、人口約3万人の町。
日本人が観光で行くことはかなり少なく、交通アクセスがよいと言えない場所ですが、町への交通の入口となるラメーツィア・テルメ(Lamezia Terme)には国内線の空港があります。
コロナが終わってイタリアへ行けるようになったら、ヴァレンティア(西田有志選手)vsミラノ(石川祐希選手)の試合が見れたら最高ですね。
西田有志選手のご家族もスポーツ選手
西田有志選手の家族構成ですが、姉と兄がいる5人家族。
父、母ともに実業団の元バスケットボール選手。
ご両親は元スポーツ選手として、西田選手のバレーボール人生の節目でアドバイスや背中を押したりして、サポートしてくれるそうです。
6才年上の兄はジェイテクトでバレーボールにも関わっている圭吾(けいご)さん。
以前放映されたテレビに西田選手のご家族が登場されています。
まさか僕のちょっとした紹介まで(笑)
髪色は気分で変わります https://t.co/oqv3SykZTO— 西田 圭吾 (@mbvboh) October 28, 2019
8才上のお姉さんも元バレーボール選手で、三重県の県大会で決勝戦に出場し、春高に出場するレベルの選手だったそうです。
お姉さんは特に有志選手に厳しかったとか(笑)
西田ファミリーはとても仲が良さそうですね。
バレーボール:西田選手情報まとめ
西田有志選手にはこれからの日本のバレーボール界を引っ張っていってほしいですね。
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東京五輪の日本選手を中心に他国の注目選手も紹介
西田 有志(にしだゆうじ)
生年月日:2000年1月30日
(2020年時点で20才)
出身地:三重県いなべ市
血液型:O型
ポジション:オポジット
所属:ジェイテクトSTINGS