バレーボール界の若手のかっこいい選手“プリンス”は誰?歴代プリンスと現在

男子バレーボール,歴代プリンス
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男子バレーボール選手の中で、バレーボールの実力に加え、細身の長身、若さとルックスをかねそろえた“王子様”のような存在が“プリンス”と呼ばれてきました。

女性ファンも多いバレーボール選手の中でもひときわ目を惹く存在。

過去から現在まで、代々“プリンス”と呼ばれた男子バレーボール選手をまとめました。

一番上の灰色の目次から知りたい箇所をクリックすると、スキップします。

初代プリンス:嶋岡健治(1970年代)

嶋岡 健治(しまおか けんじ、1949年5月9日生まれ )さんは、1972年ミュンヘン五輪で男子バレーボールが金メダルを獲った時のセッター兼アタッカー(当時、身長185cm)。

嶋岡さんは中央大学を卒業後、実業団リーグの日本鋼管で活躍。現役時代は「プリンス嶋岡」と呼ばれていました。

ミュンヘンオリンピックの出場時の嶋岡さんは23才。

嶋岡健司,ミュンヘン五輪バレーボール選手
引用元©http://www.olympicgamesstats.com

「プリンス嶋岡」の名づけ親は、当時の全日本の監督だった故・松平康隆さん。

メンバーの中でも一番若い世代で、松平監督の目には細面に映ったからかもしれません。

ミュンヘン五輪の金メダルメンバーが約30年ぶりに集結した番組で、1972年のミュンヘン五輪当時の練習風景の貴重映像が放映されていました。

1972年当時の男子代表選手の練習、忍者映画の撮影現場?かと思いましたわ!(笑)

初代“プリンス”と呼ばれた嶋岡さんは、嶋岡さんは2020年時点で71才ですが、この映像が放映された1999年は50才でした。

2020年現在、JVA(日本バレーボール協会)の会長を務めていらっしゃいます。

日本バレーボール界の大御所ですね。

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2代目プリンス:藤田幸光(1980年代)

2代目プリンスと言われているのが藤田幸光(ふじた ゆきみつ、1960年4月23日生まれ )さん

藤田さんの当時の身長は189cm(最高到達点は340cm)でオールラウンダーで安定した攻撃、ブロック、守備で3拍子揃った好プレーヤーでした。

藤田幸光さんは滋賀県の長浜商工高校(現:長浜北星高校)を卒業後、実業団の松下電器(現在のパナソニックパンサーズの前身)、全日本代表で活躍。

写真右側が藤田幸光選手。白い歯がさわやか!ですね。

藤田幸光,男子バレーボール選手
引用元©http://www.yukimitsu.net

藤田さんはミュンヘン五輪金メダルの松平康隆監督に見出されて、19才で初代表チーム入り。

1981年のワールドカップで日本は6位でしたが、やはり松平さんが21才の藤田選手を「プリンス」と呼んだのがきっかけだったそうです。

ワールドカップが終わってから通勤で使っていたバスが、藤田さんが乗るバスだけ、毎日ファンの女性たちで超満員だった(笑)という逸話も残っています。

藤田幸光,男子バレーボール選手
引用元©http://www.yukimitsu.net

藤田幸光さんは、2007年4月より京都橘大学女子バレーボール部監督に就任。現在も指導者としてご活躍されています。

藤田幸光さんは、もう一つ「バレー界の玉三郎」というニックネームもあるようですが、こちらはあまり浸透しなかったようです。

やはり藤田さんのような細くてハンサムで、コートで輝きを放っている選手はプリンスの方が似合いますよね。

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3代目プリンス:加藤陽一(1998~2004年頃)

2代目の藤田幸光さんの後、プリンスのような選手は他にもいましたが、メディアでプリンスと呼ばれたのが加藤陽一(かとう よういち、1976年8月12日生まれ)さん、身長190cm。

加藤陽一さんは大分県の大分工業高校の3年生のとき、キャプテンとして春高バレーで3位入賞。

その後、筑波大学に進学し、2年生から4年生までの3年間、チームのインカレ3連覇を達成した中心選手で、大学在学中の1998年世界選手権で全日本代表デビュー。

1999年から東レアローズで所属するとともに、ワールドカップに初出場。

加藤陽一,バレーボールマガジン
引用元©バレーボールマガジン

1999年のワールドカップで、当時23才だった加藤陽一さんは「空飛ぶプリンス」と呼ばれるようになりましたが、このネーミングはテレビ局がつけたキャッチコピーが始まりだったようです。

加藤陽一さんは、見た目から言えば、細面というより、ワイルドな感じのソース顔(濃い系)プリンスですね。

加藤さんご自身は「プリンス」より「キング」が良かった(笑)とおっしゃっています。

たしかにキングにふさわしいエースアタッカーでした。

その後、加藤陽一選手は東レ・アローズ(1999-2002年)からイタリア、ギリシア、フランスののプロバレーボールリーグを渡り歩き、VリーグのJTサンダーズ (2005-2009年)へ戻りました。

世界を知る日本のサムライ」というニックネームもあり、こちらの方が似合っているという話もあります。(笑)

現役引退後はVリーグ女子の久光製薬スプリングスのコーチ、PFUブルーキャッツの監督を経て、2020年現在、Vリーグ女子のJTマーヴェラスのコーチを務めています。

上の動画は2018年4月の加藤陽一さん(当時42才)。40代としては、若さとかっこよさが十分ですね。

現在:柳田将洋(2013年~)

柳田将洋選手が2010年に高校2年生(17才)で春高バレーで優勝。春高バレーでキャプテン兼エースアタッカーとして優勝した時から、「春高プリンス」「色白プリンス」など、“プリンス”と呼ばれていました。

その後、日本代表に入りしたのが2013年、柳田選手が21才のとき。

全日本デビュー後の柳田将洋選手は、石川祐希選手、髙橋健太郎選手山内晶大選手とともにバレーボール界を次世代を担う4人のユニット「NEXT4」として注目され、柳田選手は「バレーボール界のプリンス(プリンス・オブ・バーレーボール)」の名を不動のものとしました。

Embed from Getty Images

2020年3月には「ソルティプリンス」なる言葉も誕生しました。

プリンスという言葉は「王子」という意味からも「若さ」という意味合いがあるように思います。

その後、柳田将洋選手(2020年時点で28才)は日本代表チームの主将として、チームを引っ張る立場となりました。

年令や中心的な存在感からして“プリンス”を卒業した感もありますが、やはりファンにとっては「永遠のプリンス」と言えるかもしれません。

柳田将洋選手については以下の記事もどうぞ。

“ソルティプリンス”柳田と“マシンガン福澤”とは?その由来は?

Yanagida Masahiro

バレーボール柳田将洋選手情報:日本や海外での所属チームやプロフィール

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石川祐希もプリンス?

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日本の男子バレーボール界のエースアタッカー、石川祐希選手。

柳田選手よりも2才年令が若く、外見的にもプリンスと呼ばれるに十分なルックスなので、石川祐希選手を“プリンス”と言うこともできるかもしれません。

しかし、石川祐希選手はプレーの中心選手、絶対的なエースとしての存在となっています。

厳しいイタリアのプロリーグで自分を鍛え、骨太な強さを兼ねそろえた“日本男子バレーボール界の現役キング”という方が、若くて美しい男子的な“プリンス”というニックネームより似合うかもしれません。

石川祐希選手については以下の記事もどうぞ。

石川祐希,バレーボール選手,パワーバレーミラノ,アリアンツミラノ

バレーボール石川祐希選手情報まとめ[イタリア・セリエA・日本代表]プロフィールも

その他でプリンスのように輝いたバレーボール選手

プリンスというニックネームではなくても、それぞれの時代にプリンスのように輝いた選手がいます。

この選手なくして、日本の男子バレーボールの歴史は語れない」というプリンス級の名選手を集めました。

川合俊一(1980年代)

川合 俊一(かわい しゅんいち、1963年2月3日生まれ)さんは、バレーボール解説者やバラエティ番組での出演者としてメディアに登場することも少なくないので、若い人も見たことがあるかもしれません。

身長195cm。1980~90年代の実業団の最強チーム、富士フィルムに所属し、熊田康則らと一時代を築いた選手。

1984年ロサンゼルス五輪、1988年はキャプテンとしてソウル五輪に出場しています。

キャラクター的に“プリンス”という感じでなかったからなのか、プリンスという称号はありませんでしたが、アイドル的な超絶な女性人気がありました。

下は1985年のワールドカップでの川合俊一選手。(2019年ワールドカップ前の取材)

センター(現在のMB:ミドルブロッカーのポジション)として、ブロックや一人時間差攻撃、当時は珍しかった斜めに跳んで空中で相手のブロックを交わす流れ攻撃(ブロード攻撃)などを得意としていました。

ブロックで相手スパイクを止めるたびに、会場内はものすごい数の黄色い声援。

現在、川合さんは日本ビーチバレーボール連盟会長をはじめ、日本バレーボール協会関連の職以外にご自身でもビジネスを持って、タレントや解説者としても活躍しています。

中垣内祐一(1990年代前後)

中垣内 祐一(なかがいち ゆういち、1967年11月2日生まれ)さんは、1990年代の全日本男子バレーの絶対的エースで、代表経験も10年という長期にわたって活躍した選手。

2020年現在、男子バレーボール日本代表チームの監督として、東京オリンピックへ向けてチームを指揮しています。

名字に由来する「ガイチ」というニックネームで親しまれ、身長194cm、最高到達点は346cmからくり出されるスパイクはワールドクラス。

1992年のバルセロナ五輪をはじめ、1990年代の世界選手権やワールドカップなど、主要国際大会でキャプテンを務めました。

下はガイチ監督の現役時代の映像(2019年のワールドカップ前のテレビ番組)。

全盛期のジャンプ力は1m以上あったと言われています。

是非、現在の日本代表の東京オリンピックでの活躍を期待したいです。

山本隆弘(2000年代)

山本 隆弘(やまもと たかひろ、1978年7月12日生まれ)さんは、2000年代の男子バレーボール界を支えたサウスポーの「スーパーエース」。

ポジションはオポジット。鳥取県の鳥取商業高等学校、日本体育大学からVリーグのパナソニック・パンサーズへと進みました。

プリンスと呼ばれてもおかしくないルックスでしたが、身長201cm、最高到達点355cmからくり出されるスパイクは豪快すぎて、やはり「スーパーエース」と呼ばれるのがふさわしかったのでしょう。

2000年代のバレーボールはチーム戦術として、現在ほどに全員バレーの要素が少なく、一人の絶対的なアタッカーに頼る部分が大きかったと言われています。

2008年の北京オリンピックでも、相手チームのガチガチのブロックでマークされても一人で打ち抜く山本隆弘さんの姿が印象的でした。

現在はバレーボールの解説や普及活動、メディア出演等で活躍中です。

小学生バレーボール大会「T-FIVE CUP(2014年~)」、T-FIVEバレーボールアカデミー(2019年~)など、育成にも力を入れています。

毎月1回、BSフジで放映されている『バレーボール・チャンネル(Volleyball Channel)』のではMCをつとめ、世界トップチームとの戦いを経験した選手ならではの独自視点で解説。

現役選手への鋭い意見やアドバイスが勉強になる番組です。

バレーボールチャンネルのアーカイブの一部がJVAのサイトで見れます。

バレーボールチャンネル(JVAサイトより)

越川優(2000年代)

越川 優(こしかわ ゆう、1984年6月30日生まれ)選手は、2002年、男子選手としては高校生初の全日本代表入りをした選手。

身長189cm、最高到達点347cmの高さを生かした破壊力抜群の高速ジャンプサーブが特徴。

長野県の岡谷工業高校からVリーグのサントリーサンバーズ、イタリアのプロバレーボールリーグのパドヴァ、JTサンダーズを経てビーチバレーに転向。

2007年にワールドカップへ出場した頃、一時期、テレビ局が「プリンス・オブ・ニッポンバレー」というキャッチコピーを用いましたが、ファンの間ではあまり浸透はしなかったようです。

北京オリンピックでは試合の途中で膝の半月板を断裂。

しかし「これで選手生命が終わってもいい。五輪のコートに立つためにバレーボールをしてきた」という強い思いから、試合に出続けました。

海外リーグへの孤独な挑戦。越川優のファイティングスピリッツが素晴らしいです。

そして現在も、ビーチバレーの世界で奮闘しています。

まとめ

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