全日本男子代表バレーボール、Vリーグの東レアローズのミドルブロッカーとして活躍する高橋健太郎(たかはし けんたろう)選手。
ルックスもモデル級のイケメンで、日本人離れした体格をもつ髙橋健太郎選手の出身校や最高到達点等、プロフィール情報をまとめました。
バレー選手の高橋健太郎:身長や最高到達点等プロフィール
【#HBD】本日2/8(土)は、2019年度男子日本代表チーム登録メンバー #髙橋健太郎 選手の誕生日です🥳🎂
髙橋選手、Happy Birthday!#龍神NIPPON #ミドルブロッカー #バレーボール🏐 pic.twitter.com/erxpK6yTX0
— 公益財団法人日本バレーボール協会 (@JVA_Volleyball) February 8, 2020
髙橋健太郎選手は身長202 cm、体重93 kg(2020年Vリーグ公式データ)。
男子日本代表選手全体の平均身長が189cm前後、外国のトップチームの平均身長(200m)と同じくらいの身長の高さです。
髙橋健太郎選手の最高到達点はスパイクジャンプの最高到達点が355cm、ブロックジャンプで350cm、指高は260cm。
全日本チームのスパイカーの平均的な最高到達点が340cmくらいで、髙橋選手は非常に高い方と言えます。
助走なしのブロックの時のジャンプ力が90cm(350cm-260cm)もあるのはすごいですね。
体が大きいと高く飛ぶことが難しいですが、さすがミドルブロッカーです。
高橋健太郎選手の特徴は身体能力の高さ。身長が2mを越える上、全体的にがっちりした体形で骨格。
筋肉も強く、スパイクもパワフル。体格のよい外国人選手と対等にわたりあえる高さや強さがあります。
さらに乗りがよく、元気で明るく、コート内でのムードメーカー的なキャラクター。
課題のサーブに磨きがかかれば、日本代表チームでも不動のミドルブロッカーになれる可能性が高いです。
足のサイズは31cm(Vリーグデータ)。
サイズが無くて靴を買うのがたいへんそうですね!
髙橋健太郎の幼少期
髙橋健太郎選手が生まれた時の身長49cm、体重3300g。
生まれたときは今とは違って普通サイズだったのですね。
幼い頃はとにかく外で遊ぶのが大好きな子で、当時通っていたそろばん塾の先生からは“昭和のガキ大将”と称されたこともあったとか。(笑)
高橋健太郎の小学校時代
高橋健太郎選手の出身小学校は山形県の川西町立犬川小学校。
小学生の頃は犬川マラソンスポーツ少年団で野球をしていたそうです。
お父さんが野球をしていて、小さな頃からキャッチボールをしていたため、自然と野球をはじめるようになったのだとか。
高橋健太郎の中学時代
高橋健太郎選手の出身中学は山形県の川西町立第一中学校。
ますます野球に打ち込み、一時期はプロ野球選手を目指したほどでした。
高橋選手の中学2年生の時の身長は184cm。
しかし、肘(ひじ)を故障してしまい、野球の道は断念せざるをえなくなったそうです。
高橋健太郎選手の好きな言葉は「凡事徹底」。
「日常の小さなことからも手を抜かずに徹底してゆくことが大切」という意味で、中学時代に出会った校長先生が繰り返し教わった言葉。
今も高橋選手の座右の銘になっているようです。
高橋健太郎の高校時代
高橋健太郎選手の出身高校は山形県米沢市の米沢中央高等学校。
バレーボールとの運命の出会いは、米沢中央高校の入試の時!!
この頃の髙橋選手の身長は189cmあり、ひときわ目立つ存在。
試験が終わった後、校長先生から「バレーボールをやらないか?」と誘われたそうです。
この時の校長先生は、全国私学バレーボール連盟会長をしていて、髙橋選手を見て、将来のバレー選手としての活躍を直感したそうです。
まさに運命の出会いですね!
入学後はバスケットボールの話もあったそうです。
しかし、健太郎選手のお母さんは、学生の頃にバスケットボールからバレーボールへ転向した経験をお持ち。
健太郎さんの運動選手としてのタイプを考えて、母はバレーボールを勧めたそうです。
高校で始まったバレーボール生活。
始めたころはスパイクも打てず、一度はバレーボールを辞めようと思ったほど。
しかし、ある日、髙橋選手に転機が訪れます。
青森県のスポーツの名門、弘前工業高校へ練習試合へ行ったとき、弘前工高の選手の中に、当時ユース代表に選ばれていた同世代のトップ選手(元東京FCの鈴木頌卓選手)がいました。
高橋選手はその思い切りのいいスパイクを見て「あんな感じで打つのか!!」とひらめいたのだそうです。
それを見て真似て試してみたら、うまくできるようになった高橋健太郎選手。
その後、チームのキャプテンとなり、2012年に全日本ユース代表に選出。
アジアユース選手権に出場。銅メダル獲得に貢献しました。
高橋健太郎の大学時代
高橋健太郎選手の出身大学は筑波大学。
筑波大学は体育や教育の分野に強く、伝統的にバレーボールが強い名門大学。
2014年4月(大学3年)、全日本メンバーに初登録。
この頃、髙橋健太郎選手は一躍有名になり、あっと言う間にトップ選手の仲間入りをします。
2015年には全日本男子の南部正司監督は、期待の全日本若手ユニットである「NEXT4」の一員として指名。
高橋健太郎選手は、柳田将洋選手、石川祐希選手、山内晶大選手とともに、その後の男子バレーボール界を担う若手イケメン選手「NEXT4」として注目され始めました。
一時期、右膝の疲労骨折により戦線離脱しましたが、その後、怪我から復帰し、2015年9月のワールドカップへ出場。初めての世界三大バレーボール国際大会を経験しました。
東レアローズの高橋健太郎選手(2016年- )
2016年10月、Vリーグの東レ・アローズへの入部が内定しました。
高校からバレーボールを始めてバレーボールのトップチームに入った高橋健太郎選手。
「自分のバレーボール歴は他の選手よりも短く、下積みもせずに上へ来てしまった。まだまだ学ぶべきことがたくさんある」と語っています。
東レアローズでは、ブロックの向上のため、同じミドルブロッカーで先輩の富松 崇彰(とみまつ たかあき)選手からアドバイスを受け、貪欲に技術を吸収しているそうです。
富松選手も高橋選手を応援!!
ナイスブロックけんたろう。
つなぎもいいぞけんたろう。
やっちゃえけんたろう。— 富松 崇彰 (@tomimatutakaaki) October 9, 2019
バレーボール:高橋 健太郎 選手情報まとめ
高橋健太郎選手のさらなる活躍に期待したいですね。
当サイトは高橋健太郎選手を応援しています!!
東レアローズのチーム情報や龍神NIPPONのグッズについては、よろしければ、下記もご参照ください。
髙橋 健太郎(たかはしけんたろう)
生年月日:1995年2月8日
(2020年時点:25才)
出身地:山形県川西町出身
所属:東レアローズ
血液型:A型
ポジション:ミドルブロッカー