バレーボールVリーグのパナソニックパンサーズや日本代表選手として活躍する大竹壱青(おおたけ いっせい)選手。
バルセロナ五輪のバレー選手を父に持つ大竹壱青選手の出身校や最高到達点等、プロフィール情報をまとめました。
バレー選手の大竹壱青:身長や最高到達点などプロフィール
大竹壱青選手は身長201 cm、体重100 kg(2020年Vリーグ公式データ)。
男子日本代表選手全体の平均身長が189cm前後で、大竹壱青選手は2020年時点の代表選手の中でかなり背の高い選手です。
大竹壱青選手の最高到達点はスパイクジャンプの最高到達点が346cm、ブロックジャンプで325cm。
指高は267cm。
大竹選手のポジションはサーブレシーブに参加せず攻撃に専念するオポジット。
ハンマーを振り下ろすような豪快なスイングのスパイク攻撃が特徴。
ちなみに足のサイズは31.5cm。
大竹壱青の小学校時代
大竹壱青選手の出身小学校は神奈川県横浜市の茅ヶ崎東小学校(ちがさきひがし小)。
大竹選手がバレーボールを始めたのは茅ヶ崎東小学校3年生の時。
バレー選手としてバルセロナ五輪にも出場した父の影響で、調布大塚クラブでバレーを始めました。
調布大塚クラブは、1985年に創設された小学生バレーボールチームで、東京都大田区を活動拠点としています。
創立後から35年が経った現在も、かなりしっかりと活動し、練習に取り組んでいるようです。
きっと、大竹選手が通った時代も、しっかり練習していたのでしょうね。
大竹壱青の中学時代
大竹壱青選手の出身中学は東京都小平市のサレジオ中学校。
サレジオ中学校は駿台学園や安田学園と並び、東京の中学バレーの強豪校。
(神奈川県横浜市のサレジオ学院中学校とは別の中学のようです)
大竹壱青選手は中学3年の時、東京選抜の選手としてJOCジュニアオリンピックカップ(第24回全国都道府県対抗中学バレーボール大会,2010年12月)へ出場。
決勝戦では日本代表の石川祐希選手のいる愛知県選抜と対戦。
石川祐希選手の愛知県選抜に勝利し、全国優勝。
この大会に出場したときの大竹選手の身長は188cm。石川祐希選手は181cm。
二人はともに優秀選手に選ばれました。
また、日本代表のミドルブロッカー、小野寺太志選手も同学年でこの大会に出場。この時すでに195cmの身長だった小野寺選手は大会の「オリンピック有望選手」に選ばれました。
その時の映像がこちら。
白いユニフォームの東京選抜の背番号2。ピンチサーバーで登場するのが大竹選手。
バルセロナ五輪に出場した父、秀之さんも一瞬テレビに映っています。
青いユニフォームの愛知選抜の背番号4番は石川祐希選手です。
大竹壱青の高校時代
大竹壱青選手の出身高校は東京の東亜学園高校。
「東京の高校バレーと言えば、東亜学園」というくらいの強豪で、春高出場36回。
大竹壱青選手は東亜学園高校の2年と3年のときに春高バレーに出場。
高校3年の時にはチームの主将としてベスト16に入りました。
赤色のユニフォームの東亜学園の背番号8、ミドルブロッカーが大竹選手。
この頃、すでに身長は2m(200cm)に達していました。でかいですね。
また、バレーボール日本協会が2020年東京オリンピックに向けて、集中的に強化する15~22歳選手で構成された「Team CORE」のメンバーにも選ばれました。
大竹壱青の大学時代
大竹壱青選手の出身大学は中央大学(商学部)。
中央大学は全国インカレで優勝するほどの大学バレーの名門。
中央大学の同じ学年には日本代表の石川祐希選手、2学年上にセッターの関田誠大選手がいました。
2014年12月の全日本インカレでは1年生ながら中央大学の18年ぶり13度目の優勝に貢献。
大竹選手スパイク賞を受賞。
また、2015、2016年の全日本インカレでも優勝し、3連覇を達成しています。
中央大学時代の大竹選手にとって、石川祐希選手の存在は大きかったようです。
大学4年でドイツへバレー留学したのも、イタリアへバレー留学していた石川選手の存在によって発奮。
大学に入ってからミドルブロッカーからオポジットへ転向したのも、石川祐希選手に背中を押されて踏み切ったと大竹選手は語っています。
ドイツへバレーボール留学
大竹壱青選手が中央大学4年生の9月(2017年)、大竹選手はドイツのプロバレーボールリーグ、ブンデスリーガへ短期のバレー留学。
チームはドイツリーグ1部の強豪、フランクフルト(ユナイテッド・バレーズ・ラインマイン、2019年に柳田将洋選手が契約チーム)。
この時期、柳田将洋選手が1回目のドイツで契約したチーム、ビュールに在籍していた時期。
柳田選手のビュールと対戦することもありました。
大竹壱青選手はドイツ語はまったくわからず、英語もままならなかったと言います。
時間を見つけてはインターネットで英語の文法を学んだり、形容詞のボキャブラリーを増やして、少しずつ言いたいことを伝えられるようになったそうです。
中央大学で同じチームメートだった同級生(平田亮介選手)は、ドイツから帰国後の試合で以下のように語っています。
以前は競り合った時にミスをしていたイメージがあったけど、ドイツに行ってからは競った場面で決めている。特にこの2戦は20点以降、全部決めていたんじゃないでしょうか。メンタル面の成長を感じます(引用元:Number)
パナソニックパンサーズの大竹壱青選手
2017年12月、大竹選手はパナソニック・パンサーズへ加入が内定。
2018年、2019年にVリーグで2連覇したトップチームの主力の一人として活躍しています。
2015年4月、全日本代表メンバーに初招集。
2019年のワールドカップにも出場しました。
日本代表チームには、同じポジションに西田有志選手は清水邦弘選手という凄い選手がいるため、ポジション争いは熾烈ですが、是非頑張ってもらいたいです。
大竹壱青選手の家族は有名バレーボール選手
大竹壱青選手は2才年上の姉がいる4人家族。
お父さんは元バレーボール選手で、母の秀子さんは元病院の栄養士さん。
お母さんの身長は160cmくらいで普通の高さですが、手料理がとても美味しいと評判だそうです。
大竹壱青の父はバレー選手の大竹秀之さん
父の大竹 秀之(おおたけ ひでゆき)さんはバルセロナ・オリンピックにも出場した元バレーボール選手。
208cmという長身は日本バレーボール界の歴代の最高身長。
法政大学第二高校時代、法政大学時代とミドルブロッカーとして大活躍していました。
バルセロナ五輪以外に世界選手権3回、ワールドカップに4回出場しています。
その後、NECブルーロケッツを最後にバレーボールを引退し、NECで勤務しながら、日本バレーボール協会の発掘育成委員も務めていらっしゃいます(2019年時点)。
大竹壱青の姉はバレー選手の大竹里歩さん
大竹壱青選手の姉はVリーグで活躍中の大竹里歩選手(2021年5月までデンソーエアリービーズ)。
壱青選手の2才年上で、身長が高く183cm。
東京のバレーボールの名門高校、下北沢成徳高校を卒業しています。
写真中央が大竹里歩選手。写真手前の鍋谷友理枝(日本代表)選手とは幼なじみ。
父の秀之さんと鍋谷選手の父たちは、法政二高時代にバレー部の同じチームで、1984年の第15回春高バレーで準優勝しています(そのチームのエースは元東レ女子監督の菅野幸一郎さん)。
幼少期から家族ぐるみのお付き合いがあったのもうなずけますね。
バレーボール:大竹 選手情報まとめ
大竹壱青選手のこれからのさらなる活躍に期待したいですね。
当サイトは大竹壱青選手を応援しています!!
パナソニックパンサーズのチーム情報や龍神NIPPONのグッズについては、よろしければ、下記もご参照ください。
大竹 壱青(おおたけいっせい)
出身地:神奈川県横浜市
生年月日:1995年12月3日
(27歳・2020年時点)
血液型:A型
ポジション:オポジット
所属:パナソニックパンサーズ