バレー古賀太一郎の中学高校大学、身長や所属チーム歴などプロフィールまとめ!

古賀太一郎選手,Vリーグ男子バレー,FC東京
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フィンランド、フランス、ポーランドなど海外のバレーボールリーグで活躍歴もある日本を代表するリベロ、古賀太一郎(こが たいちろう)選手。

2020年にはVリーグのFC東京のコーチ兼選手としての活躍が注目される古賀太一郎選手の出身校や海外リーグでの活躍等、プロフィール情報をまとめました。

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バレー選手の古賀太一郎:身長や出身などのプロフィール

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プロフィール

古賀 太一郎(こが たいちろう)
出身地:長崎県佐世保市
生年月日:1989年10月4日
(2020年時点:31歳)
身長:170cm
血液型:A型
ポジション:L(リベロ)
最高到達点:300cm

古賀太一郎選手は身長170cm、最高到達点300cm(2020年Vリーグ公式データ)。

ポジションはリベロ。コートの中では守備専門、守備のエキスパートという役割。

試合では出場場面が限られますが、チームの攻撃力を左右する相手サーブのレセプションの要。

リベロには、どんなボールでも積極果敢に飛び込む献身的なプレーと粘り強さが求められます。

古賀太一郎選手はフィンランドとフランスのリーグでプレーした後、世界最高峰リーグのポーランドへ移籍。

海外での活躍を認められて評価が一層高まって、再度日本代表入りしたことから、“逆輸入リベロ”と言われることがあります。

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古賀太一郎選手の小学校・中学・高校・大学

古賀太一郎選手の出身小学校は長崎兼の佐世保市立祇園小学校(ぎおん小)。

昔から軍港として栄えた佐世保港や外国を模したテーマパークのハウステンボスに近い場所です。

古賀太一郎選手は6才の時、兄の古賀幸一郎さんの影響で佐世保の祇園クラブでバレーボールを始めました。

その後、古賀太一郎選手は佐世保市立花園中学校へ進学。中学時代もバレーボールを続けました。

古賀太一郎選手の出身高校は長崎県立佐世保南高校

佐世保南高校は長崎県のバレーの名門、大村工業高校とともに県下でベスト4に入ることはあるようです。

しかし、調べるかぎり、古賀太一郎選手の在学中に春高などへ出場した記録などは特に見当たりませんでした。

古賀太一郎選手は兄の古賀幸一郎さんと同じく、千葉県の国際武道大学へ進学。

国際武道大学はウルフドッグス名古屋の内山正平選手、古賀幸一郎選手(兄)らの出身大学。

古賀太一郎、バレーボール選手、リベロ、国際武道大学時代
©バレーボールinfo

国際武道大学の男子バレー部は、古賀太一郎選手が在籍中、秋季リーグで創部以来の最高順位となる2位となりました。

そのチームを守備で引っ張ったリベロが古賀太一郎選手でした。

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古賀太一郎選手の豊田合成トレフェルサ時代

大学卒業後、2012年に兄の古賀幸一郎選手が所属していた豊田合成トレフェルサ(ウルフドッグス名古屋)へ入団。

2012年、2014年2年間、Vリーグで活躍しました。

2013年に全日本代表登録メンバーに初選出。

Vリーグ時代の古賀太一郎選手の活躍データ

2015年以降は、ずっと海外リーグで戦っています。

海外リーグでの活躍が認められ、再度、日本代表として選出されています(2016年-)。

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古賀太一郎選手の海外リーグの契約クラブ(所属歴)

フィンランドの コッコラ・ティーケリ(2015-2016年)

2015年7月、豊田合成に所属していた古賀太一郎選手は2016年4月までの期限付きで、フィンランドのコッコラ・ティーケリへバレー留学という形で移籍。

当時、豊田合成のチームには、同じリベロのポジションに兄の古賀幸一郎選手がいて、Vリーグでベストリベロ賞をとるほどの絶対的な守護神でした。

そのため、古賀太一郎選手は出場機会に恵まれず、リベロとしての活路を見出そうとして、海外への移籍も検討し始めたと言われています。

そして、最初の海外での最初の挑戦となったのがフィンランドのリーグ。

 

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フィンランドカップで優勝🎵 We won finnish cup🎶

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フィンランドは世界のバレーボールリーグの中ではマイナーな方でしたが、古賀太一郎選手は今後の活躍の手ごたえを掴みました。

フィンランドへの移籍によってスキルアップし、海外で挑戦し続けてゆきたい、よりレベルの高いチームへステップアップしていきたいという気持ちが芽生えてきたと古賀選手は語ります。

フランスのパリ・バレー(2016-2017年)

フィンランドで活躍し、ステップアップの機会を得た古賀太一郎選手は、2016年からよりレベルの高いフランスリーグの名門、パリ・バレーからオファーを受けて移籍。

パリ・バレーボールは2019年には日本代表の福澤達哉選手も所属したチームです。

移籍当時のパリ・バレーのコーチは、古賀太一郎選手のことを「彼はゲームに活気を与えるだけでなく、試合の流れが変わる重要な局面でのプレーがすばらしい。他のチームメイトを生かす方法も知っているし、利他的なところ(自分を犠牲にして他者のために動く)素晴らしいリベロだ」と評したという話もあります。

実際にフランスでプレーした古賀選手は、選手の身長もフランスとフィンランドでは5~10cmくらい違い、サーブやスパイク、試合中の集中力なども、よりレベルが高かったと語っています。

同時に器用な動きをできる日本人のリベロは必ずや世界で通用する、むしろ「世界のベストリベロは日本人から」という確信を持てたそうです。

ポーランド:ザビエルチェ(2017-2019年)

フィンランド、フランスとステップアップしてきた古賀太一郎選手は、2017年からポーランドのプラスリーガへ移籍。

ポーランドのバレーボールリーグはイタリア、ロシアと並んでヨーロッパ3大リーグと呼ばれ、世界最高レベルのトップ選手が集まり、プラスリーガはポーランドの最上位リーグ。

この時はまだ柳田将洋選手がポーランドでプレーする前で、ポーランドでは初めての日本人バレー選手でした。

古賀選手は入団したチームがアルロン・ヴィルトゥ・シーエムシー・ザヴィエルチェ(Aluron Virtu CMC Zawiercie)。通称「ザビエルチェ」と呼ばれているチーム。

ザビエルチェ町の名前で、ポーランドの首都ワルシャワの南、ワルシャワから車で3~4時間の場所です。

ザビエルチェの正式チーム名はアルロン・ヴィルトゥ(ALURON VIRTU)

恐竜の騎士」を意味する言葉で、チームのロゴにもアルファベットでALURON VIRTU CMCと書かれています。

このヴィルトゥ(VIRTU)はチームの母体となっている食品メーカーのスポンサー会社の名前。

古賀太一郎選手がポーランドでの1年目となった2017年はチームにとってもトップリーグのプラスリーガへ昇格した年。

プラスリーガ初年のチーム目標は「下部リーグに落ちないこと!(プラスリーガにステイすること)」だったそうです。

2年目の2018年にチームは4位。

ポーランド3年目となる2019年のシーズンはシーズンの半ば12月時点でのザビエルチェの順位は14チーム中7位。

古賀選手は全試合でスタメン出場!!

ポーランドリーグは試合中のコートに入る外国人選手の人数が厳しく3人まで。(以前、在籍したフランスリーグなどでは、外国人選手の人数制限無し)

そうした中で古賀太一郎選手が全試合スタメンで出場したというのはすごいことですね。

古賀選手はご自身のことに限らず、「日本人リベロはとてもレベルが高い」と語っています。

ザビエルチェの公式YouTubeチャンネルで古賀選手の紹介。かっこいいですね。

プラスリーガでの古賀選手の紹介ページ(ポーランドリーグ)

個を重んじる海外クラブでは、毎年チーム内の選手の入れ替わりが激しく、1年1年が真剣勝負でなければ生き残れない厳しい環境。

古賀太一郎選手は「プロとしてのメンタリティは海外に来てから得られた」と語っています。

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VリーグFC東京の古賀太一郎選手兼コーチ(2020年-)

2020/21年シーズンの古賀太一郎選手はVリーグのFC東京でコーチ兼選手としてプレーすることが決まりました。

新型コロナウィルスの関係で、海外プロバレーボールリーグの例年と異なる状況ということ、また、今後のキャリアを踏まえての選択かもしれません。

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古賀太一郎選手の兄弟は?

古賀太一郎選手には5才年上の兄、ウルフドッグス名古屋の古賀幸一郎選手

ポジションは太一郎選手と同じリベロ!で、一時期は日本代表の登録選手でした。

写真を見てみると、顔の髭の感じとか、外見が古賀太一郎選手とよく似ていますね!

女子バレーボールの日本代表、NECレッドロケッツのバレー選手、古賀紗理那(こが さりな)選手とは苗字が同じですが、家族や親戚というわけではないようです。

バレーボール:古賀 太一郎 選手 関連情報

よろしければ、下記もご参照ください。

Vリーグ女子バレー,NECレッドロケッツ,とどろきアリーナ(神奈川県川崎市)
バレーボール全日本代表