全日本男子代表バレーボール・龍神NIPPONで活躍する石川祐希(ゆうき)選手の出身校や最高到達点をはじめ、日本でのバレーボール歴をまとめています。
バレー選手の石川祐希:身長や最高到達点などプロフィール
石川祐希選手は身長192cm(図り方や端数処理方法で191cmというデータもあり)、体重84kg。
日本人としてはかなり高い身長ですが、石川選手本人は「世界で戦うにはあと7~8cmくらい背がほしかった」とインタビューで話していました。
これは実際にプレーしているときに石川選手が体感している身長差と思いますが、外国のトップクラスの代表チームの平均身長は日本人選手の平均より約10cm高い(197~198cm)と言われています。
石川祐希選手のスパイクジャンプの最高到達点は351cm(2019年ワールドカップ)から353cm(2020年パドヴァ在籍時代)に上がっています。
※但し、東京オリンピック2020の公式登録データはスパイクジャンプ最高到達点351cm/ブロックジャンプ最高到達点は327cm。
全日本代表の男子選手の中でもトップクラスの高さで、現在も筋力アップしているため、最高到達点はさらに上がっている可能性もあります。
一般的にバレー選手は体が大きく身長が高いほど、器用さやジャンプ力に欠けることが多いですが、石川選手は身長190cmを超えるにも関わらず、小柄な選手の器用さやジャンプ力も併せ持ちます。
また、世界トップクラスの選手が集まるイタリアのプロ・バレーボールリーグ、セリアAでは、身長2m、最高到達点が360cmを超える選手も珍しくありません。
石川選手はイタリアでそれらの大型選手と互角に戦い、個人成績でも上位に付けています。
石川祐希選手のすごさは高さだけでは語れない柔軟な技術、状況に合わせる驚異の対応力。
さらには「ここぞ」という場面での勝負強さがあり、日本の男子バレーボール史上、最高の逸材と言われることもあります。
石川祐希の幼少期
石川祐希選手のお母さんによれば、生まれた時の体重は3270gだったそうです。
少し大きめかもしれませんが、一般的なサイズの赤ちゃんですね!
石川祐希の小学校時代
石川祐希選手の出身小学校は愛知県の岡崎市立矢作南小学校。
愛知県の東、三河地方はジュニア・アスリートの育成に熱心に取り組んでいる、バレーボールも盛んな地域。
祐希選手は矢作南(はやぎみなみ)小学校の3年生の時、1年間だけ野球をしていたそうです。
小学4年生の時、バレーボールをしていたお姉さんの練習についていったのがきっかけで、自分もバレーボールを始めたそうです。
ちなみにその後、星城高校で6冠を達成した時のセッター中根聡太選手(2020年ジェイテクトSTINGSを引退して教員に)とは小学校のバレーで出会い、その後、中学、高校までずっと同じチーム。
矢作南小のバレーボール部は全国でも有数の強豪チームだったようですが、二人ともバレーボールを始めて間もない4年生の頃にベンチ入りしたというのはすごい話ですね。
石川祐希の中学時代
石川祐希選手の出身中学校は岡崎市立矢作中学校。
6年生のときの石川選手の身長は157cm、中学入学時点で160cm。
同学年の平均身長よりは少し高めですが、バレーボール選手としては決して身長が高いというわけではありませんでした。
矢作(やはぎ)中学校時代、背の高い選手が集まるチームとの対戦となると、思うようにスパイクを決められない日々が続いたそうです。
それでも、スパイクのフォームを修正したり、コースを打ち分けられる練習をしたり、さらにレシーブ力も向上するよう、ひたすら努力を重ねたそうです。
ひたむきさや負けず嫌いが、石川選手の持って生まれた運動神経やバレーセンスがさらに磨かれるきっかけとなったのでしょうね。
しかし、身長も中学2年生のときには約172cm、3年生になることには181cmを超えチームのエースとなってゆきました。
中学3年で180cm以上といえば、各校のエース級選手という存在感です。
石川祐希選手は中学3年生のときに全国大会で3位になりました。
その後、愛知県選抜のキャプテンとしてJOC ジュニアオリンピックカップに出場。
下の動画は、JOC ジュニアオリンピックカップの決勝戦。石川選手率いる愛知選抜チームが東京選抜と戦ったときの貴重な映像です。
紺色のユニフォームの愛知県選抜、背番号4が石川祐樹選手。
そこでも愛知県選抜チームを準優勝に導くとともに、大会の優秀選手に選出されました。
中学生の頃から持ち前のしなやかさで大物になる予兆を感じさせ、フォームも今に通ずるものがありますね。
石川祐希の高校時代:2年連続「高校三冠」を達成
石川祐希選手の出身高校は愛知県豊明市の星城高校。
星城高校はスポーツが盛んでインターハイや国体などに数多く出場している高校。
石川祐希選手のバレーセンスが開花したのは高校時代と言えます。
星城高校の校訓「 継続は力なり」だそうです。
才能(天賦のセンスや運動神経)を持ちながら、ひたむきな努力家でもある石川祐希さんにぴったり!ですね。
石川祐希選手がいた時代の星城高校のバレー部の成績はすごいものでした。
2012年・2013年と2年連続での「高校三冠(春高バレー、インターハイ、国体)」を達成!!したのです。
この2年連続というのは、日本の高校バレー史上初。
石川ユウキ選手は高校1年の頃からスタメンに入り、活躍していました。
まだ、体が細くて、パワーアタッカーというより、しなやかさや高さが際立ちます。
のびやかで、柔軟性とキレのあるスイングで、スパイクがどんどん決まります。
下の動画は春高バレーで活躍した石川選手のハイライト動画です。すでにかなりの大物選手。
石川祐希の大学時代:大学でも伝説を作る!
石川祐希選手の出身大学は中央大学(法学部政治学科)。
中央大学の法学部と言えば、早稲田や慶応大学と同じくらいの偏差値の難関私立大学の一つですが、バレーボールも強い大学です。
石川選手は2014年4月に中央大学バレー部に入るとすぐにスタメンとなりました。
優勝に大きく貢献し、新人賞、会長特別賞、サーブ賞を受賞しています。
さらに2014~2016年まで、3年連続で全日本バレーボール大学男子選手権大会で優勝。
インカレ三連覇の達成後、4年生のときはチームの主将もつとめていました。
こちらは2016年、石川ゆうき選手が3年のときのインカレの決勝戦の動画(YouTube)。
大学1年のとき、イタリアでのバレー留学の経験を経て、世界で戦う中でパワーの重要性を認識した石川選手。
大学3年のときは以前よりも体太くなり、パワー(筋力)が増しています。
対戦相手は強豪の東海大学。背番号10のジャンプサーブで三連続ポイントを取っているのが石川選手です。
大学卒業後の石川祐希はイタリアのプロリーグへ
石川祐希選手は大学在学中から世界最高峰の男子バレーボールリーグ、イタリアのセリエAでバレー留学。
大学卒業後は、日本のVリーグではなくイタリアのセリエAのプロチームと契約しています。
2020/21年シーズン終了時点で6シーズンを終え、素晴らしい成長をとげ、世界から注目されるプレーヤーとなりました。
イタリアセリエAでの所属歴や成績は下記にまとめています。
石川祐希選手のご家族もすごい
石川祐希選手は姉、妹がいる5人家族。スポーツ一家ですね。
石川祐希の父母は元スポーツ選手
石川祐希の父の幹尚(もとなり)さんはデンソーの短距離走の選手として活躍した元陸上選手。
母の石川みどりさんは、実業団のデンソーでプレーしていた元バスケットボール選手。
幹尚さんの身長は186cm、みどりさんの身長は165cmだそうです。
165cmの身長で実業団で活躍したみどりさんは、かなりの運動神経やセンスを持っていたのでしょう。
祐希選手の高身長や身体能力の高さは父親ゆずりですし、母親からも運動神経や身体能力の高さを受け継いだのは間違いなさそうですね。
石川祐希の姉は?
石川祐希選手の1歳年上のお姉さんも元バレーボール選手。
祐希選手はお姉さんが所属していたバレーボール部を見学したことがバレーを始めるきっかけになったそうです。
石川祐希の妹は女子日本代表の石川真佑
石川祐希選手の妹は全日本女子代表の石川真佑選手。
真佑選手は姉や兄のバレーボールの練習についていったのがきっかけで、自然とバレーボールを始めたそうです。
アウトサイドヒッターとしては小柄ながら、バレーボールセンスや上手さの光る選手です。
下は5月14日の石川真佑選手の誕生日を祝う石川祐希選手。
お二人は小さな頃から仲が良かったそうで、真佑選手が大きくなり、バレーの有名選手になってからも、たまにアドバイスなどをしてあげているそうです。
石川真佑選手については、よろしければこちらをどうぞ!
バレーボール:石川選手情報まとめ
石川祐希選手の活躍で日本のバレーボールがさらに盛り上がるが楽しみですね。
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東京五輪の日本選手を中心に他国の注目選手も紹介
生年月日:1995年12月11日
(2020年時点:25才)
出身地:愛知県岡崎市
血液型:AB型
ポジション:アウトサイドヒッター
契約チーム(2020-21年シーズン):
パワーバレー ミラノ